内向的な私がコワーキングスペースを10年やっていること
今日こういう記事を見た。プロニートとして名を馳せたphaさんの記事。記事によると彼がシェアハウスの運営をはじめて約10年とのことである。その彼の記事。
わたしも小さなコワーキングスペースを大阪で運営して約10年、いわゆるコミュニティ商売のマスターとしてやってきて、彼の書いていることがとても分かる気がする。
私はそもそも内向的な人間であると思っている。外よりも自分だけの空間、多くの人との交流よりふたりから数人のひっそりとした話を好む。飲食する店を好むとすれば、職場にも家にもない、そういうひっそりとした空気があり、適当に放っておいてもらえるような店が好きだ。
わりと人前に出て目立つのは好きなので、完全な陰キャというわけでもない。あとお酒を飲んでさえいれば、あまり自分のことを気にせずに人に話しかけることはできる。だからコミュニティイベントや勉強会で人前でしゃべり、その後の懇親会でお酒を酌み交わしながらお話をする、というような関わり方をした人であれば、あまり私に内向的というイメージを持っている人はいないかもしれない。
けど、基本的には自分は自分のペースで人と話し、仕事を進めることを好む人だ。多人数の中でどんどん人に話しかけたり、集団の空気を読んで気の利いたことをやったりすることはあまり得意でない。人の名前と顔を覚えることも本当に下手だ(そういう意味でFacebookには本当にお世話になっている)。ある程度一緒に仕事をした人や日頃の私の様子を見ている人はよくお分かりのことだと思う。
けれどもそんな私がコワーキングスペース運営だなんて人にたくさん会う商売をやっている。なぜって、ひとつはフリーランス稼業の自分にとってとても有利な環境がつくれるからである。あとは多分、私は社交的な人に強い憧れを持っていて、そのように振る舞いつづけることで心底そういう人になれるんじゃないかという淡い期待をもっているのかもしれない。
今は家でごろごろと寝て過ごしているだけで、自動的にいろんな人がやってくる。それは寂しくないし、うれしいことだ。だけど、来る人はみんなそれぞれ面白くて魅力的な人なんだけど、どの人ともそんなに深いつながりはないような気もする。家に来てくれたら話をするけど、そうでなければわざわざ自分から出かけて行ってその人と会おうとするかどうかはよくわからない。
先ほどの記事のこの部分、自分にはわりとグサッときたのだ。私は私たちのスペースにできた小さなコミュニティを愛しているし、そのひとりひとりによい気持ちをもったり、刺激をもらったり、楽しく遊ばせてもらったり。本当に感謝している。
けれどその一方で、どんなに人付き合いの多い人でも、いや、人付き合いが多いからこそ、大人になって「深いつながり」を他者に簡単に求めるのは図々しいことだとも思う。それはお互い様だし、別に恥じ入ることでもない。「本当の友達」なんてものがあるとしたら、2人もいれば上等なんじゃないか。そう思っている。
なんらかのコミュニティや組織の中心に立ちつづけることは、自分を拡張しつづけることだ。そこで得た幸せは確かにあるし、そうしながらこれに関わる他者に大小の幸せをつかんでもらうことがそれをやっている意義でもある。けれど、ひとりになったときやこんな文章にふれたときにふっと認識する疲れや無力感。それはきっと私が想像もしないような人もひっそり抱いている、そんな感覚なんだろうと思う。